映画『ロストケア』を観て感じたこと
介護の現場に携わる私が思ったこと
今日は日曜日。
ふと映画を観たくなり、Netflixで目に留まった『ロストケア』という邦画を選びました。

「自分がしてほしいと思うことを、人にしてあげなさい」という言葉がテーマとして描かれていると紹介されていて、思わず再生ボタンを押しました。
物語は、訪問介護センターから派遣されるヘルパーと利用者
そして、その家族をもめぐる事件が軸になっています。
訪問介護センターって、どんなところ?
私はソニア以外の訪問介護事業所での勤務や施設での実務経験はこれまでありませんので
この「訪問介護センター」という表現には不思議な感覚がありましたが
調べたところ、訪問介護事業所と相違はなさそうでした。
訪問時の人数って、どのくらい?
たとえば、あるシーンでは入浴介助のために3人のヘルパーが訪問しており
そのうち1人は新人のような描写がありました。
実際の現場でも、入浴の際には2人で対応することがありますが
3人で同時に訪問することはないと考えていいと思います。
別のシーンでは、1人で自宅に訪問していたので基本はそのままのようです。
利用者さんが旅立たれたとき、ヘルパーは?
印象的だったのは、利用者の方が亡くなられたあとに、ヘルパーが葬儀に参列している場面でした。
実際、長く関わってきた利用者さんが旅立たれると私たちの中にも大きな想いが残ります。
ですがが、葬儀への参列などは各事業所で対応が変わります。
ソニアでは
- 10年以上のご縁があった方
- ご家族との交流が深かった方など、場合によってはご遺族の了承を得て、
香典を包んだり、お花を贈ったり、お別れの場に立ち会わせていただくこともあります。
それはあくまで職務や会社の方針ではなく、個人としての気持ちからのもの。
なので、かかる費用や時間に関しては会社は経費としても給与としても反映はしておりません。
人と人とのつながりを大切にする介護の現場では、そうした関係性が自然と育まれていくことがあるのだと思い、個人の意思を尊重しております。
説明はここまでとして、映画を観て感じたことをまとめてみますね。
変わっていくことへの戸惑いと「自分を失う怖さ」
映画内では特に認知症の方が主に取り上げられていましたが
それだけに限らず、人は自分自身の変化に強い抵抗を抱くことがあると思ってます。
思うように動けなかったり、できなくなったり、誰かの助けが必要になったり
その過程のなかで、「これまでの自分」が遠のいていく感覚は、きっととても怖いことです。どこまで受け入れて、どこにしがみつくか。
その揺れ動く心に、私たちはどう寄り添えばよいのかを、改めて考えさせられました。
家族の背負うものは、時にあまりにも重い
介護が必要になると、支えるご家族の負担も一気に増えていきます。
経済的なこと、生活の調整、そしてなにより精神的な疲れ。
どんなに大切な人であっても、日々が積み重なれば、思い通りにいかない苛立ちや孤独を感じることが、どうしてもあることと思います。
映画の中でも、そうした現実の厳しさが丁寧に描かれていて、胸が痛くなりました。
ヘルパーは「救う人」ではなく「支える人」
介護職というと「助ける人」「なんとかしてくれる人」と思われがちですが、
本当のところ、**私たちは“支える人”であり、“隣に立つ人”**だと思っています。
ご飯を作る、お風呂に入れてあげる、薬を管理する
そうした行動のひとつひとつの先にあるのは、「その人がその人らしく過ごせるように」支えること。
何かを“やってあげる”ことが目的ではなく、日常のなかに心安らぐ時間や笑顔を取り戻すお手伝いをすることが支援の本質だと感じています。
本当の支援とは、心が安らぐ場所を守ること
訪問介護の現場は、利用者さんの「家」になります。
その空間は、誰にとっても心安らげる、守られた場所であってほしいと願っています。
そこに他人である私たちが入っていく以上、“家という聖域”を汚さないように、丁寧に関わることが求められます。
ただ居る時間の中でやれねばならないことを作業としてこなすのではなく
その場にある空気や感情、歴史を感じ取りながら、そっと寄り添うこと
「その人らしさ」を奪わないこと。継続すること。
それが訪問支援の醍醐味であり、同時に難しくもあることですね。
愛情が絡まるとき、家族という関係がつらくなる
「大事にしたい」と願うからこそ、思い通りにいかないときに苦しさが増します。
介護の現場でも、相手を思う気持ちが強いほど、距離の取り方や言葉の選び方が難しくなり、互いに傷ついてしまい関係が拗れてしまうことが度々あります。
私自身、家族を介護した経験もあり、
近しい関係性のなかでは、感情がぶつかり合いやすく、自分を見失いやすいことを痛感しました。
ヘルパーという生業を経験しても、そうなるんです。
一般の方がそうなって、然りだと思ってます。
だからこそ大切なのは、「家族としての自分」と同じくらい、「一人の人間としての自分」も大切にすること。
自分を抑えて相手に尽くすだけでは、心も体も持ちません。
「できない」と口にしていい、「少し離れる」ことも選んでいいんです。
その時はそのときで「最善だった」と自分を認め、許すことをしていいんです。
そうやって、やさしさを保つための余白をつくること。
誰かに気持ちを「吐露する」、「現状を話す」だけでもいいんです。
「解決」までいかなくとも、気持を進めることが大切なのだと改めて思いました。
ヘルパーだからこそ、吹き込める風がある
私たち外部の支援者は、家の外から来る“風”のような存在でもあります。
家族だけでは気づけなかったことに目を向けるきっかけをつくったり
「そんな方法もあるんだ」と言ってもらえることもあります。
ヘルパーは、外から最も近くに寄り添える存在。
頼れる相手でありたいし、そう思ってもらえるような関係性を築いていけたらと思っています。
自分の笑顔を大切にすること
現実のなかで、実際に手を差し伸べてくれる人はそう多くないかもしれません。
大変さを分かってほしいけれど、すべてを理解してくれる人は、そういない。
だからこそ、まず自分の心を守ること、自分を労わることを後まわしにしないでほしいと思います。
疲れたな、休みたいな、泣きたいな。
そう感じたときに、深呼吸して、自分にやさしい言葉をかけてあげる。
そんな小さなことでも、自分を救う大きな一歩になると信じています。
「救い」は人とのつながりの中にある
誰かを本当に救うというのは、ひとりではできないこと。
それは「人と人との関係」があって初めて可能になるものです。
制度を利用する、人を頼る、自分の苦しさを打ち明ける
自分を救うことが、誰かを救うことにもつながっていく。
それは決して弱さではなく、生きるための強さだと思います。
そして何より、自分を見ずに、人を見ることはできない。
自分の心に目を向けられる人でありたいと、改めて思いました。
正しさとは、誰にも測れないからこそ慎重に
何が正しくて、何が間違っているのか。
その線引きはとても難しくて、本当の意味で正しさを測れる人はいないのかもしれません。
だからこそ、私たちはいつも慎重でなければならない。
でも同時に、人は未熟で、無知で、
過ちに気づくのは、たいてい何かが起きてから――という側面もあります。
だから涙を流すし、悔しいと怒るし、後悔もする。
そしてその感情から、私たちは学び続けるのだと思います。
介護の世界を生きた先代が、よく言っていました。
「介護は、究極の人間関係だ」と。
「自分の価値観に沿った線を引くこと」
それは相手を大切に思うからこそ、尊重し、守るべき境界線なのだと思います。
最後に
『ロストケア』という映画は、単なるフィクションではなく、
介護という日常の中にある「誰にも言えない感情」「見過ごされがちな苦しみ」に光を当ててくれる作品でした。
この映画を通して、また一歩、自分が思う介護の関わり方を振り返るきっかけをもらえた気がしています。
「正しさ」や「強さ」ばかりを求めず、自分の心に耳をすませながら、
これからも誰かのそばに立ち続けていきたいな、と思いました。
まとめ
- 介護の現場に携わる私が思ったこと
- 訪問介護センターって、どんなところ?
- 訪問時の人数って、どのくらい?
- 利用者さんが旅立たれたとき、ヘルパーは?
- 変わっていくことへの戸惑いと「自分を失う怖さ」
- 家族の背負うものは、時にあまりにも重い
- ヘルパーは「救う人」ではなく「支える人」
- 本当の支援とは、心が安らぐ場所を守ること
- 愛情が絡まるとき、家族という関係がつらくなる
- ヘルパーだからこそ、吹き込める風がある
- 自分の笑顔を大切にすること
- 救「救い」は人とのつながりの中にある
- 正しさとは、誰にも測れないからこそ慎重に
- 最後に
最後までお読みいただきありがとうございました。
